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雪舟を語る会 芳井町史を歩こう 第2弾 ~明治編~

雪舟を語る会 芳井町史を歩こう 第2弾 ~明治編~

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雪舟を語る会 芳井町史を歩こう 明治編

2013・11・25 午後13寺 小雨決行という事で、少し雨模様でしたが、風も無いので雨支度で 芳井生涯学習センターに集合し 明治地区に向かいました。

今回は4回目で、芳井町史を歩こう ~明治編~です。

まづは 井原市芳井町明治 種地区にある 斐川城・小屋の山城跡を訪ねました。
並浪状へ位置の小丘陵50mX30mの範囲。幅3m~4m 深さ2mの環濠が南綿をめぐり 北は急崖となっていました。時代は南北朝時代。
 史談会のお世話をして下さっている小谷さまが、私たち「雪舟を語る会」の為に 周辺の木々を伐採したりして歩きやすくして下さっていました。本当に(*´∀人)ありがとうございます♪
そして 小屋城などの貴重な言い伝えを話してくださいました。

次の訪問先は、高仙寺 真言宗大覚寺派 天平9年 (737)に創建されたと伝わる。

現在 ご住職は、宗務総長・服部精村(せいそん)氏。大本山・大覚寺の執行長(しぎょうちょう)を兼ねておられるので 副住職の服部さまが、高仙寺を守っておられます。
お経をお勤め後、副住職さんから歴史などの説明そして ご説教を頂きました。

広い本堂は暖かく 冷えた身体をほぐしてくれて、私たちのお参りをお待ち下さっていました。

副住職さんは娘と同級生であらられたので、何となく親近感が湧き ご立派にご成長されている姿に嬉しく思いました。宗派は違っていても、本堂にてご本尊様に手を合わすと、安堵感が湧き上がります。
境内には大きな 石に「虚心」と刻まれていました。帰りには菊の御紋章入りのお菓子を下さいました。合掌 帰宅後 虚心の意味を調べましたら
「虚心」は心にわだかまりをもたないこと。素直な気持ち。「虚」はむなしくする、からにする、雑念をなくす意味。 高仙寺の石


次の訪問先は、松本郷一のお墓 雪舟を語る会の会員さんのご親戚

松本郷一さんは、非常に敬虔なキリスト教徒であり、郷土愛をもってその生涯を地方自治行政に捧げられた方です。同じ井原市芳井町に住みながら、このようなな ご立派なお方がおられた事を存じ上げなくて、申し訳なく感じました。お墓には キリストの十字が刻まれていました。今 NHKの大河ドラマの「八重の桜」の時代辺りを厳しく生かれておありなのでしょうか?松本さんは 井原市の近郊 高梁市の学校をご卒業されているので、キリスト教と出会われたのかもしれません。墓の裏側には、『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」の句が刻まれていました。本当の意味は 私には理解出来ませんが、私流に解釈するとすれば、「温故知新」と言おうか、私たち雪舟を語る会の様な顕彰する会の会員たちが、ご先祖のご努力を忘れず 無駄にせず、讃え 感謝し、又 後世に伝えて行く姿なのかな?と思います。

移動時間も掛かり 日も短いので予定してありました佐藤捨助国重刀工跡・勝福寺は又の機会となりました。

谷重・大島学芸員様には ボランティアで私たちを、案内して下さりありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ感謝です。

芳井歴史民俗資料館の三宅智英学芸員さんは、休日返上で、お父様とご一緒に参加され、解説される方の貴重な言い伝えを、聞き逃すまいと、懸命にメモを取られているのが、とても印象的でした。:
 
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