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関藤 藤陰(せきとう とういん)の足跡を辿って来ました。4月26日

関藤 藤陰(せきとう とういん)の足跡を辿って来ました。4月26日

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 先月の26日 歴史に詳しいお方の案内で関藤 藤陰(せきとう とういん)の足跡を辿って来ました。

関藤 藤陰は江戸末期の儒学者で政治家です。頼山陽(らいさんよう)門下の優れた人物で、江戸幕府末期の動乱期に国の政治を行った老中主席の福山藩主の阿部正弘に仕えて立派な仕事をした家臣です。

私たちは まづ最初に 笠岡 吉浜(干拓地)関藤 藤陰 生誕場所に。そして 近くにある 菅原神社(藤陰のお父さんが神官・藤陰の兄の関鳬翁の梅歌千首集録も残されています )を訪ねました。

次に笠岡古城山ふもとにある関藤 藤陰の兄の歌人・国語学者・医師 である関鳬翁(せきふおう)の墓(養父の死亡後兄弟で重陽の日に古城山に登って酒を汲み交わし懐かしい故里の思いを詩に残している)→敬業館 敬業館教授の小寺清先(こでら きよさき)関藤 藤陰は小寺清先一家の人々から日本や中国のそれぞれの学問を教えてもらいました。

井原市木ノ子町の淨見寺 →藤陰が少年時代を過ごした井原市西方町の井戸を訪ねました。案内は西方に住まわれる藤陰の大ファンのボランティアの方でした。本当にお世話に成りました。お茶まで用意してくださり恐縮します。
藤陰大ファンのボランティアのお方が今日は藤陰が喜んで下さっているだろうと声を大きくして言われ私たちの訪問を喜んでくださいました。O家のお墓には頼 山陽の言葉 ”天地終始無く人生生死有り” その横には ”散る桜 残る桜も散る桜”と刻まれているそうです。

 その方が仰るにはあまり関藤 藤陰先生の事を知られていないと嘆いておられました。実は私もあまり藤陰先生の事は存知上げていませんでした。

1976年(昭和51年)12月 藤陰の没後100周年を記念して福山市の市民有志によって「関藤 藤陰先生碑」が福山市民図書館の庭に建てられました。碑文は親交のあった阪谷朗盧によって賞賛の言葉1200字を超える長い文章がそのまま刻まれています。

資料抜粋させていただきました。

我 郷土 (井原市)の自慢が又 増えました。歴史を尋ねると色々なお方と重なり興味深いです。
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